41年目の記憶
6月24日(日)。小雨降る日曜日の朝。
先日、碧南の姪から電話があり、父が入院したとの連絡を受け、碧南市民病院へ家族3人で出かけた。度重なる引越しがたたり、再度入院と成ったらしい。
黄疸が出て、むくみが激しく顔もむくみ、病気の深刻さを見せ付けられた。電話をしておいたので、姪も病室にやってきた。「兄貴だけには、世話にならない。」といっていた強気の弟はいない。「お大事に‥。何か在ったら電話してな」
そういい残し病院を離れた。この愛知を去って、41年が経つ。15の歳に集団就職で、刈谷市の塚本製作所へ入社。
5年間の勤務で退職をし、京都の地を踏み、根を下ろし、現在がある。わたしの出発の原点が最初の勤務先。そう想い、41年振りに訪ねる事にした。浦島太郎の物語ではないが、非常に懐かしい面影はあるものの、行き交う道が変わり、そこにあった池も無い。とまどうわたし。会社はあるものの休みの為面会も叶わず、お世話になった本宅も消えている。何度も何度も、捜し求めたが、解らずじまい。諦めて帰ることにした。
後を引く思いで去ったものの、帰宅したら、当時の思い出が次から次へと湧いて出てきた。お世話になった人びとの名前と顔。生活していた風景が‥‥。今再び41年前を再現するかのごとく、鮮明に映しだされて行く。人間の記憶の素晴しさに驚嘆した。原点の地を大事にし、人と人のかかわりを忘れず、明日の為に又、第1歩を踏み出してゆきたい。
先日、碧南の姪から電話があり、父が入院したとの連絡を受け、碧南市民病院へ家族3人で出かけた。度重なる引越しがたたり、再度入院と成ったらしい。
黄疸が出て、むくみが激しく顔もむくみ、病気の深刻さを見せ付けられた。電話をしておいたので、姪も病室にやってきた。「兄貴だけには、世話にならない。」といっていた強気の弟はいない。「お大事に‥。何か在ったら電話してな」
そういい残し病院を離れた。この愛知を去って、41年が経つ。15の歳に集団就職で、刈谷市の塚本製作所へ入社。
5年間の勤務で退職をし、京都の地を踏み、根を下ろし、現在がある。わたしの出発の原点が最初の勤務先。そう想い、41年振りに訪ねる事にした。浦島太郎の物語ではないが、非常に懐かしい面影はあるものの、行き交う道が変わり、そこにあった池も無い。とまどうわたし。会社はあるものの休みの為面会も叶わず、お世話になった本宅も消えている。何度も何度も、捜し求めたが、解らずじまい。諦めて帰ることにした。
後を引く思いで去ったものの、帰宅したら、当時の思い出が次から次へと湧いて出てきた。お世話になった人びとの名前と顔。生活していた風景が‥‥。今再び41年前を再現するかのごとく、鮮明に映しだされて行く。人間の記憶の素晴しさに驚嘆した。原点の地を大事にし、人と人のかかわりを忘れず、明日の為に又、第1歩を踏み出してゆきたい。

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